おこんにちは、草むしりおばさん事、おばあはんです。
私がそうね、学生だった頃のアダ名なんて覚えてはいないわ?
でもね、「偏見野郎」そう呼ばれてたことは覚えているわ。
それはアダ名なのかおい!! : アントニオ猪木
価値観というものは人それぞれで、
生きる目的なんてそれこそ千差万別。
生きる意味なんてないのかもしれないし、生まれた瞬間から消化試合という感覚もわかる。
とはいえ、この30年余りを振り返ってみると、
勝利の瞬間、いや、勝利を目指す過程、その答え合わせが生きる目的になってきた気がする。
という私の話。
興奮や、熱狂があるから楽しいと思える瞬間があり、それを手に入れたときに、豊かさや安心があるのだと、そして「最高」とは、豊かで安心(リラックス)している「状態」だという事が私の持論である。
しかし、何もしない事でリラックスしている状態が続くというものではない。
最高の状態は早ければ1時間、遅くとも2日で終了するというのが私の見解だ。
終了したらどうするか?
そう、試合の準備を始めるというわけ。
あれおかしいな?
肌感覚で感じていたのだが、ルーティーン的な人生というのは退屈であるというあの感覚は嘘なのか?
いや違う、絶対に私は楽しめない。
しかし、大きく見れば人生が終了するまでルーティーンなのでしょう。
そこで重要なのは、「なんの試合をするか」「誰と戦うか」です。
長い人生、誰と、何で戦って、何回勝てたか。
それは大変楽しそうな人生に聞こえる。
大きな敵に勝つために勉強したりトレーニングしたりする、その過程もまた輝かしい時間です。本を読んだり、旅行したり、人と話したり、ウォーキングしたり、、、
それらの行為も、「敵に勝つため」と思えば、非常にワクワクできます。
それがとても重要。
自分のための鍛錬や、節制などは圧倒的に苦手な性分でございますので、
「敵に勝つため」という大義名分を手に入れれば、対外的に見て比較的簡単にいろいろな事ができます。
では、やはりもっとも重要なのは
仮想敵の設定の具体性
であると考えます。
条件の一つ、そしてもっとも重要なのは、その仮想敵は決して「自分」というものを設定できないという事です。
自分が怠惰だとか、だらしないとか、寝すとか(全て怠惰)、声が小さいとか、そんなような事は自分を敵として設定してしまうと、意外とどうでも良いという結論に至るわけです。
試合の勝利とは、
「他者の感情に、自分が大きく影響を与えられたという実感」
「他者の人生の一部に介在しうる大きな事を成し得たという実感」
であるのです。
大きな影響を与えるためには「満足感」が必須です。
そのためには身なりを整えたり、発言がとても的を得ていたり、素直であったり、、、と様々な要素が関わってきます。
そのために本を読んで教養を得たり、健康な生活が必要。
な訳です。
そしてこの全てが整っている状態は、とてもリラックスしている状態なのです。
とあれば、やはり重要なのは仮想敵の設定の具体性
敵なしには人生は楽しめないという事ですね。
さて、次回はその仮想敵の設定の具体性についてお話しします。
ではまた。
鈴木和人
「寝す」っていうのがいいなって思いました。