こんにちは。
前回すごい書いたので今日はもういいですよね。
前回のブログを2回に分ければよかったのですが、2回に分けたら敵を作りそうだったので一回にまとめざるを得ませんでした。
じゃあ今回は「ざるを得ませんでした」について書きましょうか?
書きましょうか?
書きます。
「ざるを得ない」って結構好きな言葉なんですが、たまに
「ざる / おえない」って言ってる人いません?
そう言う時私は
あ、この人「ざる / おえない」って言ってる!
と思います。
意外でしたか?
あべは「ざる / おえない」と言ってる人がいたらそういうとき「あ!この人『ざる / おえない』って言ってる!」と思うんですよ。
意外ですね。
あべがそんな揚げ足を取るようなことを思うなんて。意外意外。
いやとはいえ、面白いですよね。
ここにも面白いことは隠れています。
「ざるを得ない」っていう言い方は、「ざるを / 得ない」と分けられて、噛み砕くと「しないことができない」ということになります。
なので、
「まとめざるを得ませんでした」といえば、「まとめないことができませんでした」という意味になるもんですから私は「まとめざるを得ませんでした」と言ったわけです。
じゃあ、世の「ざる / おえない」の皆さんはどういう意味で使ってるの??
なんと、同じく「しないことができない」の意味で使っているんですよ。
当たり前だろ!って思ったでしょう?
このブログを読むんだったらそろそろその「当たり前だろ!」っていうのやめるべきです。
当たり前の中に面白さがいつもあるんですよ。
星野源も言っているでしょう。
違うか。
とにかく、当たり前なことなど「ない!」と言っていいです。
あのですね、
「ざる / おえない」の皆さんは、「ざる / おえない」の「おえない」と言う謎ワードに「〜ことができない」と言う意味を当ててるんです。
これははっきり言って難しい話ですよ。
「その意味ではない言葉」を「その意味で使う」
難しさがわかるように、実際にない言葉に例えるなら「まこる」っていう謎ワードに「食べる」という意味を当てて使ってるみたいなものです。
「こないだバム・アデバヨとタピった時、あいつ実はまじ急いでて、そこに溜まったタピオカまこれないまま捨ててて大草原現れたわwwww」
ってことです。
当たり前の中にワンダーはあるし、そこには愛があります。
お疲れ様でした。
新中野製作所
安倍大智
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